イエスは自分を何者だと主張したのか?
前回のレッスンでは、事実上すべての歴史家がイエスは実在の人物だったと認めていることを見ました。しかし、すべてを変える問いはこれです。イエスは実際に、自分自身について何を主張したのでしょうか?証拠を見ると、イエスはただの賢い教師だとは主張していません。はるかに急進的なことを主張したのです。
よい教師以上の存在
たいていの人にイエスをどう思うか尋ねると、こんな答えが返ってきます。「偉大な道徳の教師だった。」「人に親切であれと教えた。」「ガンジーやブッダのような人だった。」
これらは褒め言葉のつもりです。しかし問題があります。イエス自身は、それを受け入れなかったでしょう。
「よい教師」は人にどう生きるべきかを教えます。イエスもそうしました。しかしイエスは、ただの教師なら決して言わないようなことも言いました。もしイエスがただの人間だったなら、ひどく不誠実か、ひどく精神を病んでいることになるような権威を主張したのです。歴史家が持つ最初期の史料を使って、イエスが自分自身について実際に何を言ったかを見てみましょう。
イエスが実際に主張したこと
これらの主張は最初期のキリスト教史料から来ており、その多くは懐疑的な学者でさえ歴史に根ざしたものと認めています。
- 1イエスは罪を赦す権威を主張した。中風の人がイエスのもとに連れてこられたとき、イエスは「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言いました(マルコ 2:5)。その場にいた宗教指導者たちは憤りました。「神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか。」彼らはイエスが何を主張しているのかを正確に理解していました。自分に対して罪を犯した人を赦すのは一つのことです。神に対する罪を赦すと主張するのは、神にしかできないことです。
- 2イエスは全人類の最終的な裁き主だと主張した。イエスは、父が「さばきのことはすべて、子にゆだねられた」と言い(ヨハネ 5:22)、「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き」、さばきを受けるために出てくる時が来ると言いました(ヨハネ 5:28-29)。また、ご自分が栄光のうちに来て諸国民を裁くことも語りました(マタイ 25:31-33)。ユダヤの歴史の中で、これを主張した預言者もラビも教師も一人もいません。裁きは神だけのものでした。
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- 4イエスは神を、唯一無二の仕方で自分の父と呼んだ。イエスは神に語りかけるとき、アラム語のアバ(「お父さん」のような親しみのこもった言葉)を使い、ほかのだれとも異なる仕方で自分を神の子と呼びました。イエスはこう言いました。「すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません」(マタイ 11:27)。これはユダヤ人の教師の話し方ではありません。宇宙の創造主との唯一無二の、排他的な関係の主張です。
- 5イエスはアブラハム以前から存在したと主張した。ユダヤ人の指導者たちに詰め寄られたとき、イエスは「アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」と言いました(ヨハネ 8:58)。「わたしはある」は、燃える柴のところでモーセに語りかけた神が自らに与えた名です(出エジプト記 3:14)。群衆は即座に理解しました。彼らは冒涜のかどでイエスを殺そうと石を取り上げたのです。イエスが何を主張しているのか、彼らは正確に知っていました。
これらは後代の信頼できない文書に出てくる目立たない箇所ではありません。罪を赦すという主張(マルコ 2 章)と人類を裁くという主張(マタイ 25 章)は、最初期の福音書史料から来ています。福音書のほかの部分に懐疑的な学者でさえ、イエスが自分の権威について並外れた主張をしたこと、それが普通のユダヤ人の教師が言うことをはるかに超えていたことを認めています。
最初期の証拠:福音書以前の信条
多くの人が知らないことがあります。初期のクリスチャンがイエスについて何を信じていたかを示す最も強力な証拠のいくつかは、福音書が書かれる前のものだということです。
学者たちは、パウロの手紙の中に埋め込まれた初期の信条の定式、賛歌、告白を特定してきました。これらはパウロが作ったのではなく引用した箇所であり、パウロが書き留める前に、すでに確立した信仰として広まっていたことを意味します。最も重要なものには次があります。
- 1コリント人への第一の手紙 15:3-7(学者によって十字架刑から 3-5 年以内のものとされています)。パウロはこう書いています。「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが……わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと……三日目によみがえったこと……ケパ[ペテロ]に現れ、次に、十二人に現れたことである。」これはパウロの創作ではありません。パウロは自分がそれを受けたと言っています。おそらくイエスの死からわずか数年後に、エルサレムでペテロとヤコブから受けたのでしょう(ガラテヤ 1:18-19)。
- 2ピリピ人への手紙 2:6-11(パウロ以前の賛歌と広く認められています)。この賛歌は、イエスが人となる前に「神のかたち」で存在していたと述べています。パウロが読者のすでに知っているものとして引用できるほど早い時期から、教会で歌われていたのです。
- 3ローマ人への手紙 1:3-4(もう一つの初期の信条の断片)。パウロは、イエスが死者からの復活によって「御力をもって神の御子」であると宣言する既存の告白を引用しています。
なぜこれが重要なのでしょうか?イエスが神であるという信仰は、何世紀もかけてゆっくり発達した伝説ではなかったことを意味するからです。それは最初から、出来事そのものから数年以内に、そこにあったのです。伝説で説明するには、あまりに早すぎます。
C・S・ルイスとトリレンマ
かつて無神論者で、後にキリスト教の最も有名な擁護者の一人となった C・S・ルイスは、イエスの主張が私たちに三つの論理的な選択肢しか残さないことを指摘しました。
- 嘘うそつき。イエスは自分が神でないと知りながら、意図的に人々をだまして神だと思わせた。しかしこれは、私たちがイエスについて知っていることと合いません。イエスの道徳の教えは、無神論者からも、歴史上最も称賛されるものの一つです。イエスは主張を撤回するより死を選びました。詐欺を働いている人は、処刑をちらつかされれば折れるものであって、最後までやり通したりはしません。
- 狂狂人。イエスは心から自分を神だと信じていたが、精神を病んでいた。しかし妄想にとらわれた人は、行動が不安定で現実から切り離されがちです。イエスは重圧のもとでも冷静で、論争では明晰で、一人ひとりに思いやり深く、諸文明を形づくってきた教えを生み出しました。その心理的な姿は精神疾患には当てはまりません。
- 主主。イエスは真実を語っていた。自分で主張したとおりの存在だった。これは多くの人が避けようとする選択肢ですが、すべての証拠に合う唯一の選択肢です。
ルイスはこう書きました。「あなたは選ばなければならない。この人は神の子であったし、今もそうであるか、さもなければ狂人か、それ以上に悪い何かである。彼を愚か者として黙らせることもできるし、悪霊として唾を吐きかけ殺すこともできるし、その足もとにひれ伏して主、神と呼ぶこともできる。しかし、彼が偉大な人間の教師だったなどという、見下したたわごとを持ち出すのはやめよう。彼はその選択肢を私たちに残していないのだから。」
懐疑論者の中には第四の選択肢を加える人がいます。伝説、つまりイエスはこれらの主張をしておらず、後代の信奉者が作り上げたという考えです。しかしすでに見たように、最初期の信条は十字架刑から数年以内にさかのぼり、福音書は目撃者の存命中に書かれ、タルムードのような敵対的な史料でさえイエスが並外れた主張をしたことを確認しています。伝説説は、最初期の最も強力な歴史的証拠を無視することを必要とします。
バート・アーマンの正しいところと、まちがうところ
著名な不可知論者の新約学者バート・アーマンは、「イエスはいかにして神になったか」について多くを書いてきました。彼は、イエス自身はおそらく後の教会が教えたような意味で神だとは主張しておらず、イエスの神性という考えは数十年かけて徐々に発展したと論じます。
アーマンの正しいところはこうです。イエスは 1 世紀のユダヤ人であり、自分の時代と文化の枠組みを使って自分のアイデンティティを表現しました。哲学的なギリシャ語で「わたしは三位一体の第二の位格である」と言って歩き回ったわけではありません。アラム語で語り、ユダヤ的なイメージを用いました。
しかし、証拠がアーマンの再構成に反論するのは、次の点です。
- 1信条があまりに早すぎる。イエスの神的な地位への信仰が徐々に発展したのなら、初期の史料はただの人間のイエスを示し、後の史料が神的なイエスを示すと予想されます。ところが、私たちが持つ最初期の史料(紀元 30 年代初めにさかのぼるパウロ以前の信条)は、すでにイエスを「神のかたち」で存在していた復活の主として示しています。「漸進的発展」説には時期の問題があります。
- 2ユダヤ的な文脈が創作をありそうにないものにしている。1 世紀のユダヤ人は激しいまでに一神教的でした。人間を礼拝するくらいなら死を選ぶ人々です。それなのに十字架刑から数年のうちに、イエスのユダヤ人の弟子たちは「神に対するように」イエスに賛歌を歌っていました(ローマの総督プリニウスでさえ確認しているとおりです)。敬虔なユダヤ人が十字架にかけられた男を礼拝するようになるには、何か並外れたことが起きたにちがいありません。
- 3福音書の主張は一貫している。最初期の福音書であるマルコは、すでにイエスが罪を赦し、神的な権威を主張し、ダニエル書 7 章の神的な人物を反響させる仕方で「人の子」という称号を用いる姿を示しています。これは後代の付加ではありません。伝承の最初期の層から存在しているのです。
よくある反論
「イエスは神だと主張したことなどない。弟子たちが後で作り上げたのだ。」
コリント人への第一の手紙 15 章とピリピ人への手紙 2 章のパウロ以前の信条は、目撃者がまだ生きていた、十字架刑から 3-5 年以内にさかのぼります。最初期の福音書であるマルコは、すでにイエスが神的な権威を主張する姿を示しています。そしてユダヤ的な文脈は創作をほぼ不可能にします。敬虔な一神教徒は、イエスが人間以上の存在だと何か並外れたことによって確信させられたのでない限り、突然、死んだ犯罪者を礼拝し始めたりはしないのです。
「古代世界では多くの人が自分は神だと主張した。イエスもその一人にすぎない。」
ローマ皇帝は確かに神的な地位を主張しましたが、それは政治的な道具であり、だれも文字どおりには受け取っていませんでした。ユダヤの世界はちがいました。ユダヤ人は何世紀にもわたって厳格な一神教を守り、イスラエルの神以外のだれかを礼拝するくらいなら死ぬ覚悟でいました。ユダヤ人の運動が、十字架刑を神からの呪いとみなす文化(申命記 21:23)の中で、その死から数年のうちに、十字架にかけられたばかりの男を神として礼拝したというのは、歴史的に並外れたことです。それは説明を要求します。そして「作り上げただけだ」という説明では、敬虔なユダヤ人がなぜ死んだ男を礼拝するためにすべてを危険にさらしたのかを説明できません。
「『うそつきか、狂人か、それとも主か』の論証は単純すぎる。ほかにも選択肢がある。」
主な代案は「伝説」、つまりイエスはこれらの主張をしなかったという考えです。しかしすでに見たように、最初期の証拠(パウロ以前の信条、マルコの福音書、敵対的な史料)は、神的な権威の主張が伝承の最初期の層にまでさかのぼることを確認しています。伝説という選択肢が成り立たないなら、残るのはルイスの三つの選択肢です。どれが証拠に最もよく合うかは議論できますが、「ただのよい教師だった」は残された選択肢の中にはありません。
- もしだれかが、あなたの神に対する罪を赦せると主張したら、その人をどう思いますか?その人を信じるには、何が必要でしょうか?
- 初期の信条の時期はなぜそれほど重要なのでしょうか?イエスの神性への信仰が何世紀も後に初めて現れた場合と、数年以内に現れた場合とでは、何がちがってくるでしょうか?
- C・S・ルイスはクリスチャンになる前は無神論者でした。トリレンマの論証が彼自身の歩みにとってそれほど重要だったのは、なぜだと思いますか?
- もしあなたが、唯一の神だけを信じる 1 世紀の敬虔なユダヤ人だったとしたら、十字架にかけられた男を主として礼拝するよう説得されるには、何が必要でしょうか?
C・S・ルイスは、イエスを「ただのよい教師」と呼ぶことは有効な選択肢ではないと論じています。それはなぜですか?
初期のキリスト教の信条(コリント人への第一の手紙 15:3-7 など)は、イエスが自分を何者だと主張したかを理解するうえで、なぜそれほど重要なのですか?
イエスはただのよい教師だとは主張しませんでした。罪を赦し、全人類を裁き、アブラハム以前から存在すると主張したのです。十字架刑から数年以内にさかのぼる最初期のキリスト教史料は、すでにイエスを神なる主と告白しています。伝説と言うにはあまりに早すぎます。C・S・ルイスのトリレンマは揺るぎません。イエスはうそつきか、狂人か、それとも主か。次のレッスンでは、イエスがこれらの主張をし、処刑され、墓に葬られた後に何が起きたのかを検証します。その後に起きたことこそ、あらゆる主張の中で最も並外れたものだからです。