神が善なら、なぜ悪があるのか?
これは懐疑論者が投げかける最も難しい問いであり、本気の答えに値します。「ただ神を信頼しなさい」ではありません。「それは神秘です」でもありません。痛みを真剣に受け止め、それでも筋の通った、誠実で思慮深い応答です。
まず、問いを真剣に受け止める
だれかがこの問いを投げかけるとき、その人は単に哲学的な話をしているのではないことが多いものです。愛する人を亡くしたのかもしれません。深く傷つけられたのかもしれません。戦争や飢饉や虐待のニュースを見て、本気で悩んでいるのかもしれません。
思慮深いクリスチャンがまずすべきことは、答えを急がないことです。問いが本物であることを認めてください。痛みは本物です。そして、この問いはスローガン以上のものに値します。
そのうえで言えば、悪と苦しみの存在が、善で全能の神と両立すると信じる非常に良い理由が、実際にあります。それを注意深く考えていきましょう。
二種類の悪
- A道徳的な悪。人間の選択によって引き起こされる悪です。戦争、殺人、虐待、盗み。この悪は、人が悪いことをすると選ぶところから流れ出ます。
- B自然的な悪。自然の出来事によって引き起こされる苦しみです。地震、がん、津波、病気。こちらのほうが難しい問題です。だれかが直接引き起こしたものではないからです。しかし聖書は、その起源を堕落にまでさかのぼります。アダムが罪を犯したとき死が世界に入り、被造物全体が「虚無に服した」のです(ローマ人への手紙 5:12、8:20)。
この二種類には、それぞれ異なる応答が必要です。人類の歴史における悪の大部分は道徳的な悪、つまり人間が引き起こしたものです。そこで問いはこうなります。神は道徳的な悪のない世界を造ることができたのでしょうか?
自由意志擁護論
道徳的な悪に対するもっとも強力な応答は、哲学者アルヴィン・プランティンガが発展させた自由意志擁護論です。
論証はこう進みます。愛と善は、自由に選ばれたときにだけ意味を持ちます。「愛しています」と言うようプログラムされたロボットは、実際にはだれも愛していません。神は、本物の愛、善、関係を持つことのできる被造物を望んだので、本当の自由意志を持つ存在を造らなければなりませんでした。
しかし、ここに自由意志の問題があります。もし自由意志が本物なら、それは善だけでなく悪を選ぶためにも使われうるのです。人々が本当に神を愛し、仕え、選ぶ世界でありながら、同時にだれも決して悪いことをしないと保証される世界は、ありえません。この二つは論理的に両立しないのです。
哲学者アルヴィン・プランティンガは、悪の存在が神の存在と論理的に矛盾しないことを示しました。全能の神であっても、本物の自由意志を持つ存在を造り、同時にその存在が決して悪を選ばないと保証することはできません。それは神の力の限界ではありません。四角い円を作るのと同じ、論理的な不可能性なのです。
自然的な悪はどうなのか?
自然的な悪はもっと難しい問題です。善なる神がなぜ地震や子どものがんを許すのでしょうか?いくつかの応答があります。
- 1罪によってこわれた世界。神が造られた世界は「はなはだ良かった」のです(創世記 1:31)。病気、災害、死は、堕落を通して入ってきました。神はアダムに「地はあなたのためにのろわれ」と言われ(創世記 3:17)、パウロは「ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきた」と書いています(ローマ人への手紙 5:12)。自然的な悪は、神のもともとの設計の一部ではありません。神に背を向けた世界の結果であり、神はそれを正すと約束しておられます(ヨハネの黙示録 21:4)。
- 2魂の形成の論証。哲学者ジョン・ヒックは、絶え間ない快適さと安全の世界では、勇気、思いやり、忍耐、信仰は生まれえないと論じました。C・S・ルイスはこう書いています。「神は喜びの中で私たちにささやき、良心の中で語り、苦痛の中で叫ぶ。それは耳の聞こえない世界を目覚めさせる神のメガホンである。」ただし注意が必要です。ヒックは聖書よりも先へ進んでしまいました。罪が入る前、世界は「はなはだ良かった」のであり(創世記 1:31)、天においては「もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」のです(ヨハネの黙示録 21:4)。ですから、善が存在するために苦しみが必要なわけではありません。聖書が実際に語っているのは、堕落した世界の中で、神が苦しみを用いて私たちを形づくられるということです。「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出す」のです(ローマ人への手紙 5:3-4)。
- 3私たちには全体像が見えない。診察室で痛い注射を受ける幼い子どもには、なぜ親がこれを許しているのかまったくわかりません。子どもの視点からは、親は残酷に見えます。しかし親には、子どもに見えていないものが見えています。だからといって苦しみを悲しむべきでないというわけではありません。しかし、良い目的など存在しえないと結論することについては、謙虚であるべきだと示唆しています。
- 4聖書は痛みのない人生を約束していない。約束しているのは臨在だ。キリスト教は、神がすべての苦しみを防ぐとは主張しません。神ご自身が(イエスにおいて)苦しみの中に入り、「慰めに満ちたる神」として、いかなる患難の中にいる時でも私たちを慰め、ともにそれを歩み(コリント人への第二の手紙 1:3-4)、苦しみが最後の言葉ではないと約束していると主張するのです。
悪の問題は両刃の剣
多くの人が見落としていることがあります。悪の問題は、実は客観的な道徳的基準を前提しているのです。そして第 2 課で学んだように、それは神を指し示しています。
だれかが「神が存在するにしては、世界には悪が多すぎる」と言うとき、その人は、あることが単に不快だったり不人気だったりするのではなく、本当に悪いと前提しています。しかし、客観的な悪には客観的な道徳的基準が必要です。そして道徳的論証が示すように、客観的な道徳的基準には神が必要なのです。
神に対する苦情そのもの、つまり「これは本当に悪だ」という言葉は、実は道徳的な立法者の存在を支持する前提をこっそり持ち込んでいるのです。
よくある反論
「神は、自由意志を持ちながら常に善を選ぶ人間を造ることもできたはずだ。」
プランティンガはこれに直接答えています。神は自由意志を持つ人間を造ることができますが、その自由な選択を人間に代わってすることはできません。神がわたしたちに代わってした選択は、もはやわたしたちの選択ではないからです。これは、自由な存在が決して完全に善であり得ないという意味ではありません。神ご自身は常に善を選ばれ、しかも完全に自由です。善は神の本質の一部であり、神ご自身のあり方の一部だからです。いつの日か、神が救い出したすべての人も同じようにされ、二度と罪を犯さなくなります(ヨハネの第一の手紙 3:2)。しかしこの世界では、神は、選択がまだ開かれている人間、つまり神に対して本当に「はい」とも「いいえ」とも言える人間を造ることを選ばれました。神は常に行儀よくふるまうロボットを造ることもできたでしょう。しかしそれは、本物の愛と真の善を持つことのできる存在を造ることとは同じではありません。
「ホロコーストはあまりに極端だ。どんな良い目的もそれを正当化できない。」
これは反論の中でもっとも感情に訴える形であり、敬意を払うに値します。クリスチャンは、ホロコーストを軽く扱ったり、神の目的が何だったかを正確に知っていると主張したりしてはなりません。正直な答えはこうです。神がなぜ特にそれを許したのか、私たちにはわかりません。しかし「なぜこれが起きたのかわからない」と「神はいない」は別のことです。私たちに目的が見えないからといって、目的が存在しないわけではありません。私たちが神の視点を持っていないということかもしれません。ここで求められるのは、どちらの方向にも確信を持つことではなく、謙虚さです。
- もし神が今この瞬間、すべての悪い選択を防ぐことで世界からすべての苦しみを取り除いたら、それと一緒に何が取り除かれなければならないでしょうか?
- 自分の人生で、つらいことが結果的に良いことにつながった経験はありますか?それはこの論証についてのあなたの考え方を変えますか?
- 悪の問題は、神に反対する論証でありながら、どのようにして同時に神の存在を前提する論証になっているのでしょうか?
- 苦しみに対する知的な答えと、苦しみに対する感情的な応答の違いは何でしょうか?どちらも大切でしょうか?
自由意志擁護論によれば、神はなぜ、決して悪いことができない、決して罪を犯さない人間を単純に造らなかったのでしょうか?
悪の存在は神を否定しません。道徳的な悪は、本物の愛を可能にする自由意志から流れ出ます。自然的な悪は、私たちの限られた視点からは完全には見えない目的に役立っているのかもしれません。そして皮肉なことに、何かを「本当に悪だ」と呼ぶことは、すでに客観的な道徳的基準を前提しており、それは神を指し示しているのです。
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