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第 10 課 · 難しい問い

どうして神さまは悪いことが起きるのをゆるすの?

これは、神さまについてだれもが問いかける中で、いちばん難しい問いです。そして、この問いには本物の答えがふさわしいのです。「考えなければいいよ」という答えではなく。いっしょに、ていねいに、そして正直に考えてみましょう。

しとしとと雨が降る中、親が小さな子どもの上にかさをさしかけている

この問い

もし神さまがよい方で、力のある方なら、どうして悪いことが起きるのを止めてくれないのでしょう?どうして人は病気になるのでしょう?どうして地震があるのでしょう?どうして、ざんこくなことをしようと選ぶ人がいるのでしょう?

これは本当に大切な問いで、問いかけてもいいのです。聖書に出てくる人たちだって、この問いを口にしました。一歩ずつ、考えていきましょう。

悪いことの多くは、選択から生まれる

世界にある悪いことの多くを考えてみてください。いじめ、うそ、ぬすみ、けんか、戦争。これらはどこから来るのでしょう?人が、悪いことをしようと選ぶところからです。

ここが大事なところです。神さまは人に、選ぶ力をあたえました。プログラムされたとおりにしか動けないロボットのようには、私たちを作りませんでした。神さまは私たちに自由意志をあたえて作りました。正しいことと悪いことのどちらかを選ぶ力です。

どうしてでしょう?それは、愛は選ぶものでなければならないからです。もしだれかが「大好き」と言うようにむりやりさせられているなら、それは本当の愛ではありません。だから神さまは、人に本当に選べる力をあたえてくださいました。そうすれば、わたしたちがやさしくしたり、勇気を出したり、だれかを愛したりするとき、それは本当にわたしたち自身が選んだことで、その愛は本当にわたしたちのものになるのです。

でも、ここに問題があります。人がよいことを選べるなら、悪いことも選べてしまいます。片方だけを持つことはできません。人が本当に愛することのできる世界は、人が本当に傷つけることもできる世界です。それは神さまのせいではありません。自由の代償なのです。

森の道の分かれ道に立つ子ども。一方の道は日の光にあふれ、もう一方はいばらにおおわれている
🎨 こんなふうに考えてみよう
自転車の練習。親が子どもに自転車の乗り方を教えているところを想像してみてください。親はずっと支えていることもできます。そうすれば子どもは転びません。でも、子どもは本当の意味で乗れるようにはならないでしょう。どこかで親は手をはなさなければなりません。それは、子どもが転ぶかもしれないということです。それで親は悪い親になるのでしょうか?いいえ。それは、親が子どもをただ安全に守ることよりも、もっと深い何かを大切にしているということです。子どもが学び、成長し、強くなることを大切にしているのです。神さまはこの親のような方です。神さまは私たちに選ばせてくれます。そして私たちは、ときどき転ぶのです。
親がサドルから手をはなし、子どもがふらふらしながらも得意げに自転車をこいで進んでいく

地震や病気はどうなの?

地震はどうでしょう?病気は?これらは、だれか一人の悪い選択が引き起こしたものではありません。でも聖書は、最初の人たちが神さまからはなれたとき、罪が世界全体をこわしてしまい、病気と死もいっしょに入ってきたと言っています(ローマ人への手紙 5:12)。自然でさえ「うめき」ながら、神さまがすべてを新しくしてくださるのを待っています(ローマ人への手紙 8:22)。ここに、さらにいくつか正直な考えを書いておきます。

  • 1
    私たちには全体が見えません。君が小さかったころ、お医者さんで注射をされて、痛かったでしょう。お父さんやお母さんはいじわるだ、と思ったかもしれません。でも親には、君に見えないものが見えていました。注射が君を守ってくれることです。神さまの目的を理解することにかけては、私たちは小さな子どものようなものです。「どうしてこんなことが起きたのかわからない」というのは、「理由なんてない」というのと同じではありません。
  • 2
    つらい時が、強い人を育てます。勇気は、こわいものがあるときにしか生まれません。思いやりは、だれかが苦しんでいるときにしか生まれません。しんぼう強さは、物事が大変なときにしか生まれません。人のいちばんよいところは、いちばんきびしい時に育つことが多いのです。
  • 3
    神さまは、その中に私たちをひとりぼっちにはしません。聖書は、神さまがすべての苦しみをふせぐとは言っていません。苦しみの中で神さまが私たちとともにいると言っているのです。クリスチャンは、神さまご自身がイエスとしてこの地上に来て苦しんだと信じています。だから神さまは、痛みがどんなものかを、内側から知っているのです。でもイエスは、私たちの痛みをわかってくださるだけではありませんでした。私たちを罪から救い出すために死んでくださったのです。そしていつか神さまは、すべての苦しみを永遠に終わらせてくださいます。「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(ヨハネの黙示録 21:4)。
お医者さんの診察室で、注射をがまんしている勇かんな子どもの手を、やさしい親がにぎっている
🌟 びっくりすること

多くの人が見のがしていることがあります。君が「悪いことは起きるべきではない」と言うとき、君はもう、大切なことを前提にしているのです。本当に悪いこと、本当にまちがっていることがある、と前提にしています。でも第 3 課で学んだように、本物の正しさとまちがいは神さまを指し示しています。つまり、「どうして神さまは悪をゆるすの?」と問いかけさせるその気持ちそのものが、神さまがいる証拠なのです。この問いは、実は答えを指し示しているのです。

📝 かくにんクイズ

どうして神さまは、人が悪い選択をするのをゆるすの?

💬 家族で話してみよう
  • 君の人生で、つらいことが最後にはよいことにつながった経験を思い出せる?
  • もし神さまがすべての悪い選択を止めてしまったら、私たちにはまだ本当の自由があるだろうか?愛にはまだ意味があるだろうか?
  • 神さまが苦しみを遠くからながめているだけではなく、自分でそれを経験するために来てくれたということは、君にとってどんな意味がある?
🎯 ここまでたくさん学んできたね!

君は六つの大きな考えを学びました。宇宙には作り手が必要なこと。正しいこととまちがいは神さまを指し示していること。聖書は信じられないほどの証拠に支えられていること。イエスは敵たちも認めた本当にいた人であること。復活には疑い深い人たちも受け入れる証拠があること。そして苦しみは神さまがいないことの証明にはならず、むしろ神さまを指し示していること。君はもう、なぜ信じるのかを、だれにでも説明できます。何を信じているかだけではなく。

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