「科学は神さまがいないことを証明した」とだれかが言うのを聞いたことがありますか?多くの子どもが、学校で、ネットで、友だちから、そう聞いています。でも、それは本当でしょうか?いっしょに確かめてみましょう。
教科書にはたぶん書いていないことがあります。歴史上もっとも有名な科学者の多くが、神さまを信じていました。少しだけではありません。心から信じていたのです。
もし科学が神さまはいないと証明したのなら、どうして歴史上もっとも偉大な科学者たちが神さまを信じたのでしょう?
いちばん最初の科学者たち、つまり科学的な方法を作り出した人たちは、ほとんどみなクリスチャンでした。神さまが宇宙を秩序とルールをもって作ったからこそ、宇宙は研究でき、理解できると信じていたのです。現代科学は、神さまと戦いながら育ったのではありません。神さまへの信仰があったからこそ育ったのです。
科学は「どうやって」という問いに答えるのがとても得意です。重力はどうやって働くのか?植物はどうやって育つのか?星はどうやって生まれるのか?
でも科学は、「なぜ」という問いには答えられません。なぜそもそも宇宙は存在するのか?なぜ無ではなく何かがあるのか?なぜ私たちには正しいことと悪いことの感覚があるのか?
「科学は神さまがいないことを証明するの?」と聞くのは、「望遠鏡は天文学者がいないことを証明するの?」と聞くようなものです。望遠鏡は道具です。天文学者はそれを使う人です。科学は、神さまが作ったものを研究するための道具です。何かの仕組みがわかったからといって、それがわざと作られたのではないということにはなりません。
「先生は、進化がすべてを説明すると言っています。それって、神さまが私たちを作ったんじゃないってこと?」
進化論は、生き物が時間とともにどう変化するかを説明しようとするものです。でも、そもそも生命がどう始まったのかは説明しません。生きていない化学物質から最初の生きた細胞がどうやって現れたのか、だれも知りません。それは今でもまったくのなぞです。それに、たとえ神さまが生命を創造するのに自然のプロセスを使ったとしても、それは神さまが作者だということであって、神さまがいないという証明にはなりません。本がどうやって印刷されたかがわかっても、その本に作者がいないことにはならないのです。
何かの仕組みがわかっても、それがデザインされたものではないという証明にならないのはなぜですか?