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第 09 課 · 復活

イースターに何が起きたの?

キリスト教でいちばん大切な主張は、イエスが死んで、三日後に生き返ったということです。これは信じられないほどすごい主張です。だからまず、クリスチャンではない歴史家でさえ「実際に起きた」と認めていることを見てみましょう。そのあとで問いかけます。いちばんよい説明は何でしょう?

日の出のころ、庭にある開いた石の墓。大きな丸い石はわきに転がされ、空っぽの墓から金色の光があふれ出している

ほとんどの人が認めている三つの事実

これはクリスチャンが信じていることというだけではありません。ほとんどすべての歴史家が、クリスチャンではない歴史家もふくめて、受け入れている事実です。

  • 1
    イエスは本当に死にました。ローマの兵士は処刑の専門家でした。人が確実に死んだかどうかをたしかめました。ローマ、ユダヤ、キリスト教の、いくつもの古代の資料が、イエスが十字架につけられて死んだことを確認しています。
  • 2
    墓は空っぽでした。イエスに死んでほしかった人たちでさえ、墓に遺体があるとは言いませんでした。そのかわりに、弟子たちが遺体をぬすんだという話を作りました。でも考えてみてください。もし遺体をみんなに見せることができたなら、キリスト教はその場で終わっていたはずです。それができなかったのです。墓は空っぽだったからです。
  • 3
    イエスに従っていた人たちは、すっかり変わりました。イースターの前、弟子たちはおびえていました。かくれていました。イエスのいちばん親しい友だちだったペテロは、イエスを知っていることさえ否定しました。それから、何かが起きました。とつぜん、あのこわがっていた同じ人たちが、イエスは生きていると、だれにでも大胆に語りはじめたのです。それがつかまること、なぐられること、殺されることを意味していても。彼らを変えてしまう、劇的な何かが起きたのです。
🌟 今日のふしぎ

人は、本当だと信じているもののために死ぬことがあります。たとえそれがまちがっていても。でも、うそだと知っているもののために死ぬ人はいません。弟子たちは、イエスが生きているのを本当に見たかどうかを、知ることのできる立場にいました。もし作り話なら、うそだと自分たちで知っていたはずです。それなのに、ひとり残らず、そのうそのために苦しみ、死ぬことを受け入れました。だれひとり「わかった、作り話だった」と言うことなく。うそつきには、そんなことは起きません。

たいまつに照らされた中庭で、きびしい顔のローマ兵たちの前に、風雪を経た弟子がおそれず背すじをのばして立っている
🎨 こんなふうに考えてみよう
友だちが「犬が庭の上を飛んでいくのを見た」と言ったとしましょう。君はきっと「うそだあ」と言うでしょう。でも、もし友だち 10 人がみんな「見た」と言ったら?それも同じ時間に見たと言い、そのせいで困ったことになっても話を変えなかったら?そして、だれひとり話を変えなかったら?君はこう思いはじめるはずです。もしかしたら、本当に何かが起きたのかもしれない。復活の証拠は、そういうものなのです。
日当たりのよい裏庭で、小さな羽のついた小犬がフェンスの上を飛んでいくのを、10 人の子どもたちがびっくりして指さし、笑っている
📝 かくにんクイズ

弟子たちが自分の見たもののために死ぬことをいとわなかったのは、どうして大切なの?

💬 家族で話してみよう
  • もし弟子たちが復活の話を作ったのなら、どうしてそのために死んでもいいと思えたのだろう?
  • もし墓が空っぽではなかったのなら、どうしてイエスの敵たちは遺体をみんなに見せられなかったのだろう?
  • 弟子たちをこわがりから歴史上いちばん勇かんな人たちに変えたのは、何だったと思う?
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